七夕と言うと、日本では五節句の一つですが、意味と由来、発祥はいつで、どこから伝わったのか?どうして笹が使われるのか?
など疑問に思ったことありませんか?
七夕の読み方
七夕の読み方は、誰もがご存知のように『たなばた』と読みますが、漢名(中国)では『しちせき』と読みます。
また、七夕とは棚機(たなばた)とも書きます。
発祥はいつ?どこで?
七夕はもともと、中国で漢の時代に発祥したと言われております。
以後、中国では行事として取り行われて来ました。
日本での七夕は、奈良時代に中国から伝わった乞巧奠(きこうでん)と、もともと日本にあった棚機津女(たなばたつめ)の伝説が合わさって生まれました。
韓国、台湾でも七夕は行われています。
乞巧奠(きこうでん)とは?
中国で、婦人達が手芸や裁縫が上達するようにと7月7日に行われる行事のことです。
七夕の意味と由来
日本では、毎年『七夕』7月7日になると、各地で祭りが行われたり、子供達が笹に短冊を飾ったりしますが、一体なぜそうするのでしょうか?
日本の七夕は、もともと日本において神事であった棚機(たなばた)に由来すると言われております。
棚機(たなばた)とは本来、手動で織物を作る道具のことを指します。
その昔、七夕津女(たなばたつめ)と呼ばれる乙女が、夏に着物を織って棚に供え、神様を迎えて秋の豊作を祈願したり、人々のけがれを祓う行事を取り行っていました。
この行事は、奈良時代に入り中国から七夕と乞巧奠(きこうでん)が伝わると、お盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになりました。
このことから、中国でもともと取り行われていた七夕に、日本の行事で使用していた棚機(たなばた)が合わさって、七夕を『たなばた』と読むようになったと言われております。
笹と短冊
七夕と言えば、笹に願い事などを書いた短冊を飾るのが一般的ですが、この風習は夏越の大祓の『茅の輪くぐり』で設置される茅の輪の両脇の笹に因んで江戸時代から始まったと言われております。
笹もそうなのですが、竹は縁起物としてよく用いられます。
短冊を飾るのは、江戸時代の子供たちが『字が上手になりますように』と書いたのが始まりだと言われております。
五色の短冊とは?
『たなばたさま』の歌の歌詞でも出て来ます『五色の短冊』の五色とは、中国の五行説にあてはめた色で、『緑・紅・黄・白・黒』のことを言います。
中国では、短冊ではなく、五色の糸を吊るします。
五行説とは、万物は木、火、土、金、水の5種類の元素からなるといった思想です。
中国の五行に当てはめると、『緑=木、紅=火、黄=土、白=金、黒=水』、と言うことになります。
五色の短冊は、中国の五行説に由来しています。
七夕伝説
七夕と言えば、織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)の説話で有名です。
また、【こと座の1等星ベガ】は日本では織女星『おりひめ』として知られ、【わし座のアルタイル】は牽牛星『ひこぼし』として知られています。
おりひめとひこぼし
その昔、天の川のそばに天の神様が住んでいて、天の神様には織姫(おりひめ)と言う名の娘がいました。織姫はその名の通り、神様たちの着物を織る仕事をしていました。
織姫が大きくなり、天の神様が婿として探し出したのが、天の川の岸で牛を飼っている彦星(ひこぼし)でした。
織姫(おりひめ)も、彦星(ひこぼし)も、二人とも、とても働き者でした。
二人とも相手を好きになり、結婚しました。
ところが、結婚すると仲が良すぎるあまりに、二人とも働かなくなり、遊んでばかりいるようになりました。
天の神様は怒ってしまい、二人を天の川の東と西に離れ離れにしてしまいました。
ところが、織姫(おりひめ)があまりにも悲しそうでしたので、見かねた天の神様は、1年に1度、7月7日の夜に彦星(ひこぼし)と会うことを許しました。
それから二人は一生懸命働き、年に1度会うことが出来る7月7日の夜に、織姫(おりひめ)がカササギに橋を架けてもらい、天の川を渡って彦星(ひこぼし)に会いに行きます。
しかしながら、7月7日に雨が降ると、天の川が洪水を起こし二人は会うことが出来ません。
この雨のことを、織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)が流す涙だと言った説話があります。
まとめ
このように七夕には色々な言い伝えがあります。
このような言い伝えを大切にし、子供達が願いをかなえられることを願います!
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